2017年2月3日金曜日

本能的にプレイするべきか。

 フィジカルに拠る運動実行を突き詰めた先は、認知の世界だ。二十世紀であれば心理学とともに眉唾ものの疑似科学の一員であったが、確かにフットボールの歴代スター達は技術よりも優れた情熱を示してきた。
 いくつか本能的にプレイすることによる証拠が出始めている。
 バルセロナのカンテラでは世代ごとに元プロの選手が教えるが、彼らの共通見解は直感的にプレイをしろ、ということである。直感的動作が何に利するのかといえば、認知判断、運動実行における、速度向上である。運動実行は筋力以上には反応しないのだから、直感的動作とは認知判断の速度向上ということになる。もしかしたら、武術でよく聞く、無心、というやや精神的な言葉は認知判断の速度向上と同じ意味かもしれない。
 では、認知判断の速度向上とはどのような因子から構成されているのだろうか。
 まず、確実に言えそうなところは言語解釈は思考時間が、かかりすぎるということであろう。人間言語の複雑さは未だにほぼ全ての動物が人間言語で会話が出来ない程度に高度である。これは、フォーメーションフットボールから、監督が誘導するプレイモデルスタイルのフットボールがなお優れているという現代の治験と一致する。プレイモデルは練習から戦術を生活の一部にするような考え方で、より意識せずとも、プレイモデルどおりに動くことを訓練する。知識的理解より動作的理解のほうが現実的な利があるのだ。言語は第三者から覚えるが、赤子のはいはい、や乳飲み動作は教えずとも出来る。動作記憶というが、知識的記憶より忘却し難いというのも利点だ。フットボール選手が文字を忘れても、ボールを蹴る動作を忘れることはないだろう。当たり前に聞こえるかもしれないが、動作記憶は無意識的なレベルで行えるのだから、認知判断速度は速い。パスを受け取る時に、パスを受け取る、と言語化してから動作を行う選手はアマチュアでもいないだろう。
 次に視覚群がある。
 あえて視覚群というのには理由がある。視覚細胞は大きく二つから構成され、それぞれ違う神経であるからだ。目で見る事とは一つの事象と捉えがちだが、細胞レベルでみると、光源視覚と色覚に分かれる。目で見ることは光量を判断するために見、そして色を判断するために見る。そして光源視覚は色覚よりも反応が早い事がわかっている。もし、色覚を捨て、光源視覚で判断を行うことができれば、それはより速い判断を可能とするかもしれないのだ。では、フットボールは白黒の世界で判断することが可能か――。シュートを打つ時、まずはスペースを確認するだろう。この場面では敵も味方も障害物であるわけだから、より光量の多い場所を特定できれば良い。可能なプレイもあるのだ。
 さて、認知判断の構成因子である思考と視覚について話した。確かに本能的なプレイは認知判断の速度向上をもたらしているように見え、有利に思える。
 しかし、欠点もまたある。
 本能的に行うことの最大の欠点はといえば、情感に左右されすぎるという所だろう。ペナルティキックを外した選手が、その後、試合で消えてしまったり、ゴールを決めると尻上がりに調子が良くなる選手がいたり、ストライカーに感情的な選手が多い理由も本能的動作が、困難なゴール前の打破に役に立つからだろう。そして、乱調具合もまた情感だ。調子やコンディションとは体調と言われることが多いが、直感的なプレイヤーにとって、感情に左右される出来事が調子の好不調ということになる。ワールドカップ、正確なロングフィードが武器であるベッカムやゲームコントロールに長けたジダンを挑発し、彼らを退場させることもまた実戦術として実例がある。感情は集中力の振幅を大きくする。プラスにもマイナスにも。
 本能的、情感、集中力。一昔前には精神論といわれた、これらの論も、今では根拠が成り立ち、存在するのがわかってきたのが現代だ。もちろん、未だに意味のわからないものもあるけれど、根性も細胞レベルで論ぜられる日が来るかもしれない。

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