2018年7月8日日曜日

野球式一軍二軍、トーナメント方式に今だに依存する日本の蹴球育成環境。

野球式一軍二軍、トーナメント方式に今だに依存する日本の蹴球育成環境:
 正直にいうと日本は億万人居るのだから野球的一軍二軍の考え方で問題ないかもしれない。しかし人口比による潜在力として考えた場合、人口三十万人のアイスランドでワールドカップに出場できる戦力を整えられることがわかっている。欧州の育成年代は十代前半まで可能な限り全員を試合に出場させるプロと同じ形式のリーグ戦があり、年間五十試合は組まれる。もしかしたら日本の学校的区分が良くないのかもしれない。同一組織でも八チームあることは欧州ではザラで、同組織の複数チームはそれぞれレベル別のリーグ戦に五十試合分参加することで選手の可能性を潰さない配慮がなされている。一方、日本はトーナメント、一試合で終わる可能性があり、二軍は一切出られない。
 試合に出れば出るほど上手くなる、なんていうことは、スポーツ競技をしたことのある人間なら誰もがわかるはずだが、それを行わない部活的環境下に今だに日本の育成年代はある。
 オランダのクラブチームに取材をしたことがあった。一週間程。中に入る機会も与えられ有意義であった。その中で議論されていた事の一つに、どうすれば年間九十試合を行えるだろうか、という話題があった。育成年代にである。一週間に二回試合を行う。日曜日を休日にして、中二日、水曜試合、中二日、土曜試合。プロの大きなクラブであれば、年間九十試合ほど行う。議論に出た理由はプロも行っているのだから、行おうとすれば可能であるという点だ。ちょうど、レアル・マドリードがAチーム、Bチームに分かれていた時期で、それを模して少し大きなスカッドを育成年代に構築し、プレイモデルの共通化と競争意識を高める――そんな話だった。
 日本であれば、試合が多すぎでは、と言うかもしれないが、オランダでは練習をしっかり行えば試合で良い活躍ができるとは誰も思っていない。試合で生まれた課題を消化するために練習があるわけで、中心にあるのは試合だ。
 フットボールとは練習が中心にあるのか、試合が中心にあるのか――。
 言うまでもない。監督のプレイモデルなんてシーズン前の合宿、十日程度で身につけられるものでなければならない。極論をいえば、練習はその十日だけでもよい。あとは試合で感じ入れば勝手に練習するはずだ。これもプロと同じ条件でよい。そしてオランダでは育成年代でもコンペティションにはスポンサーがつき、傷害の保険や審判の費用が捻出される。企業が付けばコンプライアンスの名の下に責任の所在が明らかになり、経費の面で利点がある。青年と商売の合掌に顔を歪める日本を異国で不思議に思ったのだった。
 それでも今、高校の年代は良くなった。プリンスリーグを筆頭に都道府県別でもリーグ戦が行われている。しかし、ゴールデンエイジ、最も伸びる中学年代の試合数は、なお少ない。フットサルで足りない試合数を補う所もあり、それが中学年代の唯一の希望だ。技術を教え込ませるのは走力よりも時間あたりのボールタッチ数が重要だからだ。

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